処世術の話

こんにちは

 

 

気付いたら桜が散ってました。ここ数年ゆっくり見ていない気がする。来年は遠くへ見に行こう。

 

 

今回は田川市にある「いいかねpalette」でのゼミ合宿の話。

 

筑豊ナンバーの地方ということで、内心ビビりながら田川に向かっていましたが杞憂でした。平日の午前というのが大きかったのかな、のんびり流せてすごく良いところでした。いいかねpaletteの建物内には○年×組ってかいてある看板?がかかってたり、給食を運ぶエレベーターみたいなのがそのまま残ってて小学生に戻ったような気分に。個人的に苦手な言い回しなのでずっと避けてきましたが今回は言わせてください、エモかった。教室、階段、踊り場、廊下、ええなあ。

 

 

音声コンテンツを作る合宿ということで、実際に音声コンテンツに関わっていらっしゃるお二組にお話しをいただいた。

 

 

1日目、2日目の両日ともにお話しいただいたのは、ポッドキャストで「コテンラジオ」を配信されている樋口さん。

 

目の前に日本一を獲った人がいて、自分たちに向けて話してくれていたという事実。ナチュラルな感じに始まったからその意識が薄れてましたが、よくよく考えたらすごいことじゃないですか。 

 

樋口さんのお話での「知識を入れ続けてもいつかは尽きる、だから物の捉え方や掘り下げる力が大事」というのはとても納得でき、とても共感できた。胸を張って言えるほどのインプットしているわけでもないし、アウトプットする場面も無いに等しいので納得も共感もおこがましいとは思うけれど。様々な面から触れてみて、さらに突っ込んでいくというのは幅広い知識がないと成立しないから、自分の知識に対する考え方に近かったです。

 

そもそも喋ることと書くことでは、アウトプットする量もそれに要する頭の瞬間的な回転も違いすぎるんじゃないかと素人には思えてしまう。樋口さんのされている編集できる収録という形態では、不要な「えーと」「あのー」のような繋ぎをテンポをよくするために削ることはできても、増やすことは難しいんじゃないかな。(別撮りを差し替えることもできるけど、うーん。)書くというアウトプットであれば、半永久的に削ったり増やしたり書きなおして推敲できるという利点ともとれる作業があるから。そこに優劣があるというわけではないんですけどね。

 

雑談っぽい部分で樋口さんがおっしゃっていた、目に入った一単語をテーマにずっと話せるというのは自分の文章を書く練習にも使えるなと思ったり。 

 

「自己の整理」という点においては話すことも書くことも通う部分があるようです。最近完結した作品でもの中でも言われてたやつですね。終劇という表現のほうが適切かも。

 

 

また、1日目には西日本新聞社の方々にもお話しいただいた。

 

こちらは樋口さんとは毛色が違い、あくまでメインの新聞の販促というのが正直な第一印象。 賞味期限の短く鮮度が求められる情報を取り扱う新聞と、時間にとらわれない音声コンテンツを「フローとストック」と表されていた。文字と音声の相性や互換性、ラジオである意味などをしっかりと考えられていて、最初と最後のイメージが180度変わっていた。あと、仕事と関係ない人に会いに行く行動力、すごくないですか。

 

自分の中ではいつのまにか合宿の本旨から逸れはじめ、「音声」と「文章」というコンテンツの比較に考えがすり替わってました。コピーロボットにも、どこでもドアにも、タイムマシンにもなりえるコンテンツが共通して良いといえるのかな。

 

 

ほとんど会う機会のなかったチーム以外のゼミ生と過ごした2日間の感想。おしゃべりな人、面倒見がいい人、ずっとニコニコしてる人、イマイチつかみどころのない人、いろいろな人がいるーって感じでした。もちろん全部褒めてます。

 

この挙げた部分ってその人の持つ処世術にあたるのかなと考えたり。意識的、打算的な考え抜きの無意識な部分だとしても、相手にマイナスイメージを与えることはまずないので、こういったある種のコミュニケーションスキルはすごい羨ましく思うところ。今回の音声コンテンツというのも「喋る」というコミュニケーションの一つの形。不愛想で喋らないって相手に与える印象は最悪だとは常々思ってるんです、思いはするものの一朝一夕で変えられることでもないから難しくて、そして気が滅入る。

 

喋りの練習はスマホに向かって一人で話すのがいいと先生方はおっしゃっていたものの、自分の声を聴くという行為のハードルは自撮りと同じくらいに高い。リミッターを外すにはアルコールが一番手っ取り早いとは思うけど、そういうわけにもいかないですから。

 

 

終始フワフワしていましたが今回はこの辺で、では。

3年生でもブログ書いていきましょう。

 

 

面白そう、やってみたいと思えることを見つけられた春休みだった。今はミミズの這ったような字をメモ帳に殴り書きするのが精一杯だな。