ヘリクツの話

こんにちは

 

 

髪がだいぶん伸びてきたのでうっとうしくなってきました。でも短すぎるとなんか落ち着かないのであんまり切りたくはない。いい塩梅を伝えるというものはなんとも難しいです。

 

 

今回は教養の哲学編、第1回目の話。

 

 

正直なところ、教養に関するブログはその分野毎に一つの成果としてまとめようと考えてました。自分の中で満足できる程度には整理できた、という状況になってからやっと重い腰を上げるという自身の考え方を鑑みると、所謂プロトタイプ的な思考が染みついてるよなあとつくづく思います。

 

このブログは作品ではなくあくまで備忘録、内省のためのコンテンツ。この大前提がすぐに頭から抜け落ちていってしまう。

 

一つのことをそれなりの長さ続けようとすると、本来の目的を忘れてたり解釈違いして見当違いな方向に外れていくっていうのは、去年のプロジェクトで痛感したはずなんだけどなあ。今回の場合は、というか大概の場合は自分のことだし、方向を調整するのも転換するのも周りに意見を求めるのも結局は自分なので意識していかないとなと思ったところです。

 

形として残して定期的に振り返らないと9割9分9厘忘れる。定期的に振り返らないと、また忘れて、同じこと繰り返して、似たり寄ったりのことを書くというのが考えられる中で最も可能性が高く、最低なパターン。

 

自分でも見返すのにひと苦労するような、ごちゃごちゃした殴り書きは自分の専売特許なところがあるので、あとは目的と手段を取り違えないようにだけ。

 

ということで、好奇心の研究のほうもちょくちょく残していきます。

 

 

以下本編。

 

自分の中での「哲学」へのイメージというのが、誤解を恐れずに言うと「屁理屈をこねくり回している学問」でした。賢すぎた先人たちの賢さが何周も回ったようなひねくれた思想、みたいな感じ。

 

現段階では多くの部分が解明されていないような天文学や医学の分野などでさえも、技術が進歩し続けてずーーっと研究が続けられればいつかは多くの部分が解明されていくんじゃないかと思います、ブラックホールの全貌とか癌の完全な治療法とか。どれほどの年月がかかるのかは想像もできないけど。つまりは見えていないだけで答えの存在する学問という例が挙げたかった。中学か高校の数学で「解なし」とかいうわけのわからん概念を習った気がするけど、考えたことの前提が壊れるので今回は見逃してあげます。

この一方で今回扱う哲学に関しては正解がない。仮に寿命で死ぬまで不眠不休で考え続けたとしても、自分なりの答えにしか至ることは出来ず、一般的な正解にはたどり着けない。一般的な正解がないから。ないものはない、至極簡単。

 

新しい知識を探求し続ける「研究」と既存の知識を様々な視点から深めていく「対話」とでは毛色の異なる不可侵な存在なのかなと思います。

 

お話いただいた須長さんの話の中で、恐らく最もミソな部分で難しすぎたのが「異化」という考え方。なじみのあるものをなじみのないものにするというのが異化という考え方。異化をするためにはつまずき、つまりきっかけを経験することで問いを立てていくというのが流れなのですがこれが頭の中の「???」の主要因になっていて。自分の中の常識や知識を根底からひっくり返したり、大きな疑問を抱かせるような揺さぶるという事象にあった実感ないからだと思います。というか知らず知らずのうちにバイアスがかかっていて、既存の知識へと無理やりにこじつけて結び付けているというのが近いのかな。

 

だからこそ不安定な状況で粘る「否定的受容力」だったり、早とちりしすぎのミスを減らすための「遅い思考」が重要になってくるのか。これは早い思考になってるような気もするけど。

 

対話の議題は「利己主義」

人間がとるすべての行動は自分自身のためである、というもの。自分は筋の通った考え方だと思います、対には利他的という道徳や倫理を持ってきた考えがありますがただの感情論にしかならないのではとなるから。明文化されているわけでもなく、育った環境や文化に大きく依存をするものよりも、よっぽど一貫性を持っているんじゃないのか。結局は道徳や倫理の名のもとに行動するということ自体、自身の持つ道徳心や倫理感を通すためというエゴに帰着するし、それは情愛や恩義を通したい、詰まるところの自己を満たすといった自己信念と何が違うのかが明確に表現も理解もできない。個人の考えとしてはこんなところで、対話の中で出てきた、集団生活を円滑にしていくためのツールという考え方も面白い着眼点だなと。群れや社会を築かずに一匹で生きている動物であれば無用な考え方ですからね、自分のことを一番に考えないと死ぬだけだろうし。

 

こうやって文字に起こして言語化していくのですら満足にできないのに、話し合いの中で突発的に出せるわけもなく。どうやったらまとめられるのかよりも、どうやったら伝えられるのかに重きを置くことを意識したい。今回は話す時間もだいぶ短かったので次回はもう少しゆっくりと、急がない対話をしてみたいです。

 

 

対話に対する所感や哲学に触れてみての感想はまた来週に。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

 

体力も肺活量も量をこなしてなんぼなのでやっていかねば、屁理屈で正当化して逃げるのはよくない。