2022年の話

2022。2が多い年だなとふと思った。

 

自分が何歳か分かりやすい生まれ年の人間からすると西暦は現実を教えてくれる存在。

 

来年は23か。はやいね。

 

今年は珍しくいろいろとあったなと振り返りつつ、そばを食べます。

 

そばだって美味しいのに、体質的に食べられない人がいたり味が苦手って人がいたりする。

食べ物で考えると当たり前のことなのに、就活だとそうはいかんかったな。

最初にちょろっと受けた数社で業界の色と違うとか営業向いてないとかそもそも志望職種違うよねとか言われたり。最後のは自業自得だった。

合う合わないとかもあるだろうし、年数重ねた人らが言うんだから多少なりの根拠あってだろうけど、新卒の駆け出しからやってみたかったなあって思う。

 

でも自分から食わず嫌いするのはだめだよなってもなった。色々口にしてみて合う合わないが分かる範囲を広げてみて、その上で分かることもあるんだなって感じた1年でした。愚者は経験に学びなんたらかんたらってあるけど、自分は自分の肌感を大事にしてみたいなーって感じです。

その模索の仕方が分からなかったりトライアンドエラーに耐えうるメンタルとかが諸々見当たらないですね、適当適度でいこう。

 

そばもたまに食べるからいいんだよね。その中で温かいのだったり冷たいのだったりして。

 

来年の今日は「学生のころはよかった」なんて思いながらそばをすすってるんだろうか。

とりあえずは来年も学生しないでいいようにしないと。

 

よいお年を。

その人の話

5億年ぶりのブログ。

 


4年生になってから書いてなかったと考えると約半年と少し。長い。そんな長い時間が経っても、誇張しすぎるオタクの気質は抜けていないようだ。

下書きにあった就活と卒論のことをたらたら書いた何かは、同じ哺乳類として恥ずかしいと言われてしまいそうな何かは、そっと消した。

2022年は、大学4年生としての8ヶ月は色々と思うことの多かった1年だったので、またの機会に振り返りたいと思う。フリではない。行けたら行く、ならぬ書けたら書く、でもない。つもりだ。

 

 

新幹線に揺られる時間というのは、なんとも持て余してしまうものだ。一丁前に物思いにふけってみても、吐き出す先がない。

隣でストロング系チューハイを開けている大学生と思しき青年と乾杯し、心中を気持ちよく吐き出したいところではあるが、あいにく持ち合わせの酒がない。仮にあったとしても、極寒車中泊コースが確定してしまう。

それならば、とスマホを手に取った次第である。サイダーを片手に自己満足の世界へと洒落こもうじゃないか。


本当であれば卒論を進めるべき隙間時間なのだろう。ただひとつだけ言い訳をさせて欲しい。

よわよわJRくんの我儘に耐え、半日近くもの時間をマックとロッテリアとカラオケでPCに向き合って過ごした自分にそこまでの元気は残っていなかった。


言い訳終了。

 

 

今日は12月23日。4年前(?)までは祝日だった日だ。

世は師走。クリスマスに年末の○○納めとイベントが目白押し。街を歩く人の足取りも早いように感じられる。

そんなときに自分は何をしていたかというと、香川にいた。卒論の進捗は全くもって芳しくないのに、行った。

「その人」の展覧会に行くため。だけ。それ以外の目的も、そこ以外の目的地もなかった。

嘘をついた。某ポケットのモンスターのマンホールも拝みに行くつもりだった。

「その人」の展覧会が開催されていた美術館の滞在時間は、長く見積っても2.3時間ほどだっただろうか。格の違いというものをまざまざと見せつけられた時間は、あまりにもあっという間に感じられた。

負け惜しみのようになってしまうが、僕は「その人」のようになりたいわけではない。正確には、漫画家に、エッセイストに、作詞家に、脚本家になりたいわけではない、ということである。

 

 

単純明快なところ、すげえと思った人だった。

理解から最も遠い感情を抱いた人だった。

 


ただそれだけなのだ。

 


自分が「物を書く」という世界へ、あまりに身分不相応な憧れを持つという過ちを犯すに至ったのは「その人」の影響が果てしなく大きい。

 

 

小学生のころだっただろうか、「その人」のエッセイスト1作目の本を手に取ったのは。

なぜ手に取ったのか、それがどこだったのか、

何も思い出せない。ただ、ページをめくる手が止まらなかったことだけは鮮明に記憶している。

ただの活字嫌いだった自分にとってこの出会いは新鮮で、価値観を大きく変えてくれるものであったことに間違いはない。


おもしろい、たのしい、ひきこまれる。


「その人」の作品に触れることで湧いてくる感情は未だに変わっていなかった。


そんなことを思う弾丸一人旅だった。

 


こんな肩肘張ったようなことを言っている内は、まだまだ「その人」の、さくらももこ先生の世界を理解出来ていないのだろう。

くうねるあそぶを体現したようなコジコジのように、肩の力は入れすぎないことにしよう。24時間戦うつもりは、今のところないのだから。

 

 

 

f:id:akiki20:20221223233017j:image

 

 

 

博多に着いた。

 

 


隣の彼も博多までだったようだ。ようこそ。おかえり。どっちなんだい。

 

 


まだ雪は積もっているだろうか。

 

 


雪が降ってもテンションが上がる前に様々な不安が頭をよぎる歳になってしまった。

 

 


大人にはなりたくないもんだ。

 

 


安全運転で帰るとしよう。

 

 

 

文才という絶対的で圧倒的な存在に蹂躙され、傷ついてしまった心を癒しながら。

好奇心の話

こんにちは

 

 

2022年の6分の1がおわった。好奇心の研究もおわった。

 

「やっと」の気持ちと、「もう」の気持ちが半々くらい。嘘つきました。やっと陣営が優勢です。

 

夏の発表で燃えつきという名の満足をしてしまったこと、仮説あたりから訳が分からなくなったこと、後期で1位をもらえなかったこと。理由はたくさんあるけど、結局は頑張れない自分のせいでしかないね。残念ながら。

 

たらたらした反省なんかは帰りの電車の中でスマホのメモ帳に嫌というほど書き残したのでお腹いっぱいになっちゃいました。

 

 

それでも、こっちでも残しておきたいことがふたつあって。ひとつは1年かけた結果が「だからなに?」だったこと。当然、悪意あっての言葉ではなかったことは十分伝わっているし、言われて当然なプレゼンであったことは理解できてる。問に対しての自分たちなりの答えを述べる。なんでこんな簡単なことも出来なかったんだろうと悲しくなる。中身の質とか、プレゼンの構成とか、それ以前の問題だった。

 

もうひとつは、提出期限に遅れることが確定しているのに、それでも事前の連絡を怠ったこと。受け取ってもらえない、ブチギレられる、それくらいの対応が普通なはずなのに、優しさに甘んじた、つけこんだような考え方がすごくすごくイヤ。自分が送ったわけではないので実態はわかっていないけど。

 

もう少し発表日の話。発表会お開きになったあと、アドアルファの社員さんを捕まえてすこし話を聞いてもらった。

最近、はじめましての大人の方に対して話しかけるハードルが自分の中で下がりつつある。大人相手に萎縮しなくなってきたとも言えるのかな。同じ時間、場を共有しているから、相手がこちらに対しての敵意?警戒心?がないことがわかっているからだと思う。お互いのことをほとんど知らないからこそ気恥しさもなく、新鮮な気持ちだし。もちろん相手方の優しさあってのこと、目線を学生まで落としてもらって成立していることなので本当にありがたいかぎり。この変な度胸がついてからは、機会があれば積極的に声をかけるようにして、話をしてもらってきた。愛想良くしてればいいことも多いから、口下手な分にこやかに生きていきます。特に目上の方には。

こんな決意表明はどうでもよくて、話の内容です。今回は、というよりも今回も「使いたい手段?みたいなのは分かっているが、その先の目的がわかっていなくてどうしたらいいのか」ということに対しての意見を求めるというやつ。いろいろと助言をいただけてなんだか落ち着いたし、中には個人的に嬉しい言葉もあった。それは、「好きなことは好きでいいよ」というもの。目的とか手段とか、小手先でごちゃごちゃ考えるよりもただ好きなもの、個人的に意識したいものくらいの感覚でも今回の話ではないけど自分の好奇心を満たせるものではあるんだろう思う。その一方でやっぱり好きなことに関わっていけて、究極的にその分野で雇ってもらえる求められる飯が食えるって素敵な事すごい事だよねって話なわけで。

 

日常的な当たり前のものだし、ただ自分のモットーくらいに考えるのがいいのかなとも思えてきた。いわゆる就活の軸と呼ばれるものとはまた別のベクトルなのかなーと。

 

まあハタチそこそこの若造がなに言ってんねんてはなしだよねー。うん。

 

いつも以上の乱文。そんな文章に3日も4日ももかかってしまった。

今回はこの辺で、では。

 

 

あと、s伝会議賞の一次通過は片手で足りる本数でした。通過率は平均以下という事実と、相変わらず厳しい現実。それよりも嬉しい気持ちの方がはるかに大きいことに自分でもびっくり。ただ雑誌に小さく名前が書いてあるだけなのに、ただのまぐれかもしれないのに、ただそれだけで、もう少しくらい好きなことに向き合ってみようと思わせてもらえた。自分が好きになれることなんて今までほとんどなかったしね。

それでも、就活という文化への嫌悪感は消えてくれない。お前は人間社会に向いてない、求められる人間じゃないよと囁く悪魔がいなくなってくれない。逃げて、甘えて、詭弁を垂れて。そんなダセさ全開の最近です。

2021年の話

こんにちは

 

 

2021年の振り返りのブログを書いては消してと、半月ほど繰り返してたら年越しそうな時間になりました。

自分にとっての時間との付き合い方は今年に限らず、今後一生考えなければいけない予感がしています。

 

余裕こいてたら締切寸前、そして駆け込みで完成。例年通りとも言えます。しかし、最低限の形になるのがギリギリというだけで、そこまでに頭の中でぐるぐると練るようになったのは少しの進歩かなと。

 

練るだけ練って形にできない、もう一歩踏み込む余裕が持てない。結果生まれるやっつけ仕事。時間のバランスがとれないことによって生まれる弊害が大きすぎます。自分で満足出来ないものは単純にイヤ。

 

その他にも、やりたいことや、なりたいもの、目的と手段?みたいなことをこねくり回していた1年でもありました。

 

社会人の方ともお話させていただく機会にほんの少しだけ恵まれたりもしました。最終的に頂いた言葉は揃って

「まだ若いんだしやりたいことをやってみな」

どこかのj-popの歌詞にありそうな言葉たちは、すごく正論。その結果が望んだものであって欲ほしい。その一方で、生存バイアスみたいな側面も強いと思うんです。目に見える経歴という言葉の羅列を見る限りではありますが。

卑屈になってもどうしようもないとは分かってはいるけれど、自分の能力その他もろもろを考えた時にどうなんだとなってしまう。新卒とか中途とか、未経験とか実績とか。考えれば考えるほど、到底手の届かないことのように感じて尻込みする。

 

うだうだ言う前に、まずはESの型を複数完成させろ、SPIやれという話に落ち着く。

 

振り返りっぽいことできてませんね。

2021年は自分にとって転機になるような、新しいものに触れられた1年だったと思います。けど、今の自分が言葉にしたら安っぽく、恥ずかしくなりそうなのでスマホのメモ帳にとどめておきます。

 

 

今年はこの辺で、良いお年を。

 

 

来年はスマホのメモ帳にたまった考えの残骸?かけら?を文章に、ブログに昇華していきたい。やっつけ仕事ではなく。

 

あと、タイトルが絶望的なまでに思いつきませんでした。

 

ほんとほんとで2021年はおわり。

宇宙の話

こんにちは

 

タイトルのスケールがでかい。というのも、先日JAXAから宇宙飛行士募集の発表があったからです。学歴不問の衝撃たるや。合格枠自体は途方に暮れるほど小さく狭いとはいえ、多くの人に門が開かれたという事実に夢がある。文系大卒の人や高卒の人がなってくれたら、1人の文系学部出身(予定)者としては嬉しいです。

記念に書類だけでも出せるならと思い、要項に目を通していたら「2022年3月末時点で3年以上の社会人経験」という旨の文言が。高校卒業後に公務員や一般企業への就職という道を予定通りに歩んでいたら、ちょうど3年になっていたタイミングです。まさしく雲を掴むようなこの話を抜きにしても、未だに後ろ髪を引かれる思いを振り切れていないという現実を突きつけられました。乗りたい車と単車たちがこの3年でいくら高騰したかなんて最早考えたくない。この気持ちは打ち上げを見たら置き換えられそうな気がする。

 

そうだ 種子島、行こう。

 

触れておきたいニュースだったことも相まっていつも通り前置きが長めですが、11回目のゼミの話です。また前回から飛びました、だいたいひと月くらい飛びました。絶望的な体調での欠席と祝日を除いたら2回書いてない。これだけ分かればもう十分です。

まずは正直に、はっきりと、率直に、現状を主観と共に書きます。

わけがわからなくなりました。

風呂敷を広げすぎて手が届かないわけでもなく、ハンカチほどの収まりのいいサイズ感で深くしていってるわけでもない。ちょうどよさげな大きさに設定できたと思っていたんですけどね、思っていただけでした。

今までやりたかったこと、今みるとよく理解できないことが以下になります。

 

①-価値観という後期からのキーワード。

②-価値観と行動の関係性、及ぼす影響力の大きさを考える。アンケートをとる。

③-価値観を6つに分類し、それぞれのパターンにおいて重視している点、つまり求められている点を分析する。

④-③の要素が満たすべき条件と言い換えられる、その条件を満たせていることを対象者に訴求できていればなおよし。

 

このアンケートの結果が最終的なゴールに結びつく様が全くと言っていいほどに見えない。価値観というひとつの大きな仮説?の細分化、今までに経験のしたことのない手法のやり方がわからない。

価値観を6パターン分けるから結果も6パターンつくり、集めたい人材に応じて使い分けてねとするのか。他の価値観を持つ人間との比較、関係性を明るくする為に全パターンこたえてもらうのか。そうしたら回答者の負担が大きくなる上に、データの整理収集がつかなくなるんじゃないのか。アンケ結果から6パターン全てを満たせる場を想定する、作成することは可能なのか。全員が重視している部分の及第点を探るということは無難や妥協と同義であり、好奇心を育てるという段階まで発展しないんじゃないか。

「好奇心」と「価値観」というパーソナルな部分同士が掛け合わさることで難易度が跳ね上がっているように感じる。インスタ、幼稚園、部活みたいに場を固定するのが正攻法だったのかと思うところです。

とりあえず今回の結論。次回までに説明できるレベルまで落とし込み、分からないところを分かるように努めます。あと4コマとか本当に笑えない。

 

11月は「自己否定を突き詰めたら人間はどうなるか」というセルフ人体実験をしているのかと錯覚してしまうような1ヶ月でした。自分で自分のつまらなさや引き出しの少なさに改めて落胆したし、やればやるほどにできないことばかりが溢れてきてキャパが決壊した。結果としては、無気力に拍車がかかり、自己肯定感の低下はとどまるところを知らず、あらゆるモチベが家出するなど言い訳作りが上手くなっただけです。シンプルに能力が低いからこそ、並の人より何倍も踏ん張ってやらないといけないと理屈としては分かっているけれど。サンタさんにはセンスをお願いしようと決めた12月の始まり。

 

今回はこの辺で、では。

 

 

「宇宙規模で考えたら小さな悩み」という考え方が苦手です。確かに宇宙さんにとっては大したことないかもしれませんが、自分にとっては大したことあるから悩んでるんじゃないのというスタンス。

 

そして相変わらず綺麗事が好き。思考放棄して逃げるよりは遥かにましだと思っているので。ましなだけで、安っぽい言葉で飯は食えんですね。

落ち着いた話

こんにちは

 

今回はひと段落着いた6回目のゼミの話。たぶん6回目。スタートアップを合わせたら7回目なので折り返しです。

 

ぐるぐるしていたところを言語化できた、というより図に表せたというかなりの進歩。やっと腑に落ちるところまで辿り着きました。図を如何に簡略化するかという別の問題も発生していますが、ひとまずは次のアンケートというフェーズないとといったところです。

 

今回まとまった部分を端折ったものが以下です。

 

①深い好奇心

一般的に言う「好奇心」が生まれている状態

②個人の価値観

③機会(≒情報)

場から提供されるモノを知る、確認する機会。この段階で場の価値観と自身の価値観、つまり学生側から一方的に比較し、はかる。その上で行動(場に関わろうと)するか否かを決定する。

→この段階で「価値観」がどのように作用・影するのか。

価値観を定規と表現して、というのも考えてみましたがなかなか上手いこと言えない。

 

このことから自分たちが知りたい情報は

どのような価値観を持つ学生が、

どのような価値観を持つ場に遭遇したとき、

どのような反応、及び行動をとるのか。

→価値観は学生にどのような影響を及ぼしているのか。

であるとしました。最初に言ってたことに戻ってきた感はありますが、自分たちなりに筋の通った考えの上なので問題は無い、はず。

 

データをまとめて、最終的に到達したいゴールは

「好奇心を育てる場」になるために、相手(学生)の価値観を踏まえた上で、どのようなモノ・コトを提供するか、そして内容をどのように伝えるか。

この課題を解決出来ている場こそが「好奇心を育てる場」であり、そうなるための条件となるのでは、という予測?後期全体の仮説?です。

 

自身の価値観を完全に忘れ理解出来ている人間なんてひと握りもいないと思うし、自分で認知できている部分なんて氷山の一角に過ぎず、潜在的な部分が大半なのでは。なんて個人的には考えてはいますが、これ以上風呂敷を広げても畳められる自信が無いのでアンケート作りに注力します。

 

 

今回はこの辺で、では。

便利な話

こんばんは

 

 

言葉に起こすのが難しい4回目のゼミの話。

 

 

頭の中をそのまま出せればと思うけど、やっぱり難しい。出来るようになるためのこのブログ、トレーニングだからと言い聞かせつつ今日も書いていきます。

 

 

まずここまでの話をとして

「価値観が学生の行動に与える影響とは」

という大まかな仮説がたっている。

深い好奇心を満たすことを目的として情報を得ようとする、その行動こそが「好奇心が育つ」である定義する。その行動を起こした人に話を聞いてみると、共通項に「価値観が合ったから」という行動の決め手があった。

行動する=育つなら、行動させる(行動を誘発する)=育てるというも成り立つのでは。学生の行動と価値観はいかほどの関係性があり、どれほどの影響を及ぼすものであるのか。

例えば、○○な特徴を持っている学生は××に対しての価値観を重視している傾向にあるから××をアピールする。その結果、学生が行動をしてくれたら「好奇心を育てた」ことになる。

 

サラッと書いてますが、このことを調査するためのアンケートを作るってなかなかの難易度だと思う。そのための細かい仮説など立てたりと、まだまだ道のりは長そうです。

 

 

アンケートを検討するにあたって、価値観という言葉をどう噛み砕くかに焦点を当てて考えていました。価値観が合う、というのは環境とかなー?そこに属する人かなー?みたいな感じで。価値観が合う対象というのが定まっていなかったためにずっとグルグルしている状態で、今考えればそりゃ検討もつかないよなと反省するばかり。

 

環境やその風土、属する人たちといった対象の前に「機会」というワンクッションを置くことで解決。機会を通じたその先に、環境等々の要素があるわけなのでかなり納得しています。

 

そういった諸々をまとめたのが下の図。先生案をかなり参考にさせてもらってるので恐縮の極みではありますが。

f:id:akiki20:20211015000931j:image

価値観が合うかどうか、自身にとってプラスかマイナスか等々。自身の基準を満たせば、通過すれば行動に移す。

 

ここからが散らかっている部分。

機会ってなんだっけ。提示するもの、されるものなのか。自分が機会だと認識したら機会になるんじゃないのか。またそのどちらもなのか。今回は「場」ありきの話なので、提示を前提として進めていいのか。

1番重視している事柄が合致すれば、価値観が合うということなのか。その他の部分はどうでもいいのか。総合的な評価、1番以外の事柄との比重の関係はどうなっているのか。1番重視していることは価値観と言うよりも、信念やポリシーと言う言葉の方が近くならないか。

考えれば考えるほどに泥沼化していく。

価値観という言葉が便利すぎて、ぼやけたままで来たツケが回ってきました。自分たちのの最重要ワードとも言える存在なので、もっと詰めていきたいと個人的には考えてます。これもまた泥沼の予感。

 

 

今回はこのへんで、では。

 

 

便利な言葉って大体抽象的。やべーわ。