その人の話
5億年ぶりのブログ。
4年生になってから書いてなかったと考えると約半年と少し。長い。そんな長い時間が経っても、誇張しすぎるオタクの気質は抜けていないようだ。
下書きにあった就活と卒論のことをたらたら書いた何かは、同じ哺乳類として恥ずかしいと言われてしまいそうな何かは、そっと消した。
2022年は、大学4年生としての8ヶ月は色々と思うことの多かった1年だったので、またの機会に振り返りたいと思う。フリではない。行けたら行く、ならぬ書けたら書く、でもない。つもりだ。
新幹線に揺られる時間というのは、なんとも持て余してしまうものだ。一丁前に物思いにふけってみても、吐き出す先がない。
隣でストロング系チューハイを開けている大学生と思しき青年と乾杯し、心中を気持ちよく吐き出したいところではあるが、あいにく持ち合わせの酒がない。仮にあったとしても、極寒車中泊コースが確定してしまう。
それならば、とスマホを手に取った次第である。サイダーを片手に自己満足の世界へと洒落こもうじゃないか。
本当であれば卒論を進めるべき隙間時間なのだろう。ただひとつだけ言い訳をさせて欲しい。
よわよわJRくんの我儘に耐え、半日近くもの時間をマックとロッテリアとカラオケでPCに向き合って過ごした自分にそこまでの元気は残っていなかった。
言い訳終了。
今日は12月23日。4年前(?)までは祝日だった日だ。
世は師走。クリスマスに年末の○○納めとイベントが目白押し。街を歩く人の足取りも早いように感じられる。
そんなときに自分は何をしていたかというと、香川にいた。卒論の進捗は全くもって芳しくないのに、行った。
「その人」の展覧会に行くため。だけ。それ以外の目的も、そこ以外の目的地もなかった。
嘘をついた。某ポケットのモンスターのマンホールも拝みに行くつもりだった。
「その人」の展覧会が開催されていた美術館の滞在時間は、長く見積っても2.3時間ほどだっただろうか。格の違いというものをまざまざと見せつけられた時間は、あまりにもあっという間に感じられた。
負け惜しみのようになってしまうが、僕は「その人」のようになりたいわけではない。正確には、漫画家に、エッセイストに、作詞家に、脚本家になりたいわけではない、ということである。
単純明快なところ、すげえと思った人だった。
理解から最も遠い感情を抱いた人だった。
ただそれだけなのだ。
自分が「物を書く」という世界へ、あまりに身分不相応な憧れを持つという過ちを犯すに至ったのは「その人」の影響が果てしなく大きい。
小学生のころだっただろうか、「その人」のエッセイスト1作目の本を手に取ったのは。
なぜ手に取ったのか、それがどこだったのか、
何も思い出せない。ただ、ページをめくる手が止まらなかったことだけは鮮明に記憶している。
ただの活字嫌いだった自分にとってこの出会いは新鮮で、価値観を大きく変えてくれるものであったことに間違いはない。
おもしろい、たのしい、ひきこまれる。
「その人」の作品に触れることで湧いてくる感情は未だに変わっていなかった。
そんなことを思う弾丸一人旅だった。
こんな肩肘張ったようなことを言っている内は、まだまだ「その人」の、さくらももこ先生の世界を理解出来ていないのだろう。
くうねるあそぶを体現したようなコジコジのように、肩の力は入れすぎないことにしよう。24時間戦うつもりは、今のところないのだから。
博多に着いた。
隣の彼も博多までだったようだ。ようこそ。おかえり。どっちなんだい。
まだ雪は積もっているだろうか。
雪が降ってもテンションが上がる前に様々な不安が頭をよぎる歳になってしまった。
大人にはなりたくないもんだ。
安全運転で帰るとしよう。
文才という絶対的で圧倒的な存在に蹂躙され、傷ついてしまった心を癒しながら。