なのかの話
こんにちは
ゼミの内容を振り返るブログはその日の夜に書くようにしていたのですが、昨日は圧倒的な睡魔に屈してしまったので今回は一日遅れ。
それではゼミの話。
相変わらずグルグル考えてウンウンうなっている。寄り道を繰り返して、つまりどういうことやってなる。つまりは問いが立たない、仮説が立てられない。
なので現時点の進捗整理。
前期まででは、
「育てる」ためにはその対象が「生まれる」→テーマを再定義した上で、集めた情報と格闘。好奇心の「生まれる」と「育てる」には行動の差があることに行きつく。行動には量や質、段階や環境も関係しているのかもしれない。→自分たちの設定した「育てる」段階にいる人に話を聞いて共通点を探す。
前期段階ではテーマの整理と再定義から仮説を立てるという、問いを飛ばした進め方だった。飛ばした、というよりも問いと仮説の明確な線引きを引かなかった、という方が近いのか。自分たちなりに整理したことや考えたことは正しかったのか、成立するのかという裏打ちをするために出来上がった仮説。そら問いの問いの立て方もわからんよなという感じ。
あらゆる場面においてセオリーに固執する必要はあまり感じていませんが、詰まった時に修正が効きやすいのがセオリーというのもまた事実。
順当に発展させていくとするのならば、
①好奇心の強弱と行動の関係性や差異はどういったところにあるのか
②好奇心が育ちやすい(強い)人はどういった行動をしているのか
③好奇心が育ちにくい(弱い)人はどういった行動をしているのか
④数値化、パターン化してタイプ別の「育て方」を考察する。
になります。ほぼアドバイスの受け売りですけど。
軽々しくパターン、タイプなんて大仰な表現をしてみましたが、それは表面上の数だけで推し量れるものなのかという懸念が残る。その行動の裏にどういった考えがあったのか、みたいな事情は見えてこないので。定量調査の範囲内というある種の縛りがある中で、いかに立ち回るかというのも含めて考えるべきところなのでしょう。
今回の時間内で話していた内容だと、
①前期で育つ前に生まれるという至極当たり前なことを定義した。
②では生まれる段階の拡散的好奇心内における質の低い行動(広義に捉えた情報収集)をする人はどのような人なのか。なぜそのような行動をとるのか。
③シンプルに物事への興味を持ちやすい人?自己理解のできている人?自分の興味のある方向性を知っているからこそ興味を持ちやすいのか?
④生まれやすい人は育ちやすいのか。またその逆もしかりなのか。つまり生まれやすさと育ちやすさはイコールなのか。
⑤もしイコールで結ぶことができるのだとしたら、それは「育てる」ための一つのアプローチの形として成立するということなのではないか。
時間が経ってしまっているということと黒板の写真を撮り忘れていたことにより、勝手な自分なりの解釈の補正が入っているかも。
のかのかのかのかうるさく書いてるってことは問いになってるということなのか。
改めて見ると③→④の飛び具合がすごい。黒板に書きながらどういうことだよって思ってた100倍は説明が付けられない。
こんなところでしょうか。少しでも早くこの停滞した時間を脱したい。
前期に使った時間の割り振りが、序盤中盤の8割はうーんって言いながら考え、終盤の2割でバタバタまとめるというかなり攻めた方式。後期では変えたいと思っていましたがこのままでは間違いなく同じ道をたどることになる。そもそもの割合を変えようとするなり、考える中で適度にまとめるなりと少しでも調整していければと。
今回はこの辺で、では。
自分のやり方・動き方で進めるのと、ただ遅いだけというのは違う。自分はどうなんだと考えたときに、はっきりと答えられないのが悲しくなった。言い訳だけはプロ、ということだけ分かっています。まったくもって威張れるようなことではないですが。