鬼に笑われる話

こんにちは。

 

 

2020年も残り24時間を切りました。雪も降ってて冬だぜ!って感じがすごい。

 

2020年の総括という名の書きたいことだけを書くだけの回です。

 

 

啖呵を切るだけ切ってしないできないのが自分。

 今まで20年生きてきて唯一自分のわかってることです。

 

良いことも悪いことも特筆するようなことがない。

毎年のことすぎてもはや悲観も自己嫌悪もする気が起きません。

 

 

自分のことが嫌いっていう感情は自己嫌悪という言葉で表されがちですね。自己嫌悪っていうのは「こんなこと」もできない自分をうらめしく思う気持ち。その「こんなこと」というハードルの高さは個人差が出やすい部分でもあります。 日常のちょっとした一場面から、やりたいことに対する考え方とか。自分の場合は半端に我が強くて半端に完璧主義の気があるので、無意識のうちに平均よりもハードルを高めに設定しているんだと思います。一方で自分のステータスは経験上平均よりも低いので、当然超えることは難しいです。そのハードルに引っかかる度に、次のハードルを上げて越えることでその劣等感を埋めようとしてまた引っかかる。以下ループ。書いてて思ったけど流れがギャンブル依存と似てるな。

 

そんな「こんなこと」ができないハードルを越えられない自分を見ないように、その場しのぎの誤魔化しで自分のことを間違っても買いかぶらないようにしてきたけど、自分のことすらほとんど知らないのに相手に評価してもらおう認めてもらおうとか虫が良すぎる。自分本位でわがままなガキのまんま。

 

「自己肯定感を高めるためには成功体験を重ねること」とかよく言いますが、僕は成功と失敗の区分はどこやねんってなります。自分が納得できれば成功?周りに認めてもらえなければ失敗?その成功か失敗かという絶対的な評価方法がこそが結果的には自分を貶める結果になるように思います。自分なりの充足感の得方を探さないといけない。

 

へらへらしてのらりくらり生きてて楽さを優先に逃げてきました。角が立たないようにってやつです。楽と楽しいとまた別物ですが。

 

 

 2021年の目標は質の高い言葉選びや文章作りが少しでもできるようになること。

(他にもいろいろ考えてはいますが書かないでおきます、シンプルに気恥ずかしいし考えるだけで終わっちゃいそうなので)

 

言葉は数値化が難しいものなので評価は個人の主観に委ねられます。質の良し悪しが絶対的ではなくて相対的になるからこそおもしろいんですよね。

 

だからこそ高校までの作文を書く場面で添削を受けるのが大嫌いでした。文法や語彙の誤りとかはわかるんですが、言い回しや考え方にまで半強制的な指導入れてきて。参考までにってことであればまだわかるんですが。受験で通るための小論文や根拠が求められる学術的な論文でもないのに、何で一人の人間の主観をあたかも正解かのようにしてゴチャゴチャ言われないかんのって毎度思ってました。自分の考えたことを率直に書いてるのに先生の言う通りに文を変えたらそれは自分の文じゃなくて先生の文になっちゃうので。良い評価を受けるために胡麻すりの文かいても何も面白くない。黙って従うのが世渡り上手なんだと思いますが当時の僕には無理でした。

 

話が逸れすぎました。本題に戻りますが「質の高いものを作るためには質の高いものを知れ」という言葉の通り質の高いものに触れたいところですが、まずは自身の下地を作るところから始めてみます。言葉というのは日常のどこにでも転がっているものなので。

 

色々御託を並べてみましたが、自分の言葉を胸張って好きといえるようになりたいということです。今は自分の文を読み返すことが嫌いなことランキングで不動の表彰台。

 

来年のことどころか自分語りすぎて鬼さんに笑われちゃいますね。ネットの海にぶん投げている以上は誰に笑われているかはわからないけれど。

 

 

今回はこの辺で。よいお年を。

 

 

あと来年は車を買うのも視野に入る年齢に。保険はかなり安くなるけど乗りたい車体が高い。ぴえん。