飛び込みの話

こんにちは

 

 

宣言が明けたくらいからキャッチとか勧誘のお兄さんお姉さんが街中に戻ってきたような感じがします。押しに弱そうと見られやすいのか周りの人よりグイグイ来られることが多いがち、まあ否定はできません。そんな自分が今まで受けてきた勧誘系の中で一番面白かったのは、「最近どこか痛い所とかないですかー?」って言われ、二人から挟まれて念を送られたことです。圧倒的な意味不明さとすぐに立ち去られてしまったことで少しくらい説明してくれてもいいじゃんと興味が湧いた自分がいました。これは外発的動機づけによる拡散的好奇心が生まれた瞬間だったのか。似たような話だと、温泉の露天風呂で怖い勧誘を受けたというのもありますがまた今度の機会に。おあとがよろしいようで。

 

この「おあとがよろしいようで」っていうやつ、落語家がオチに使う定型句かと思ってましたが間違った認識でした。「次に話す人の準備ができたよ、楽しみにしててね」みたいな意味合いのようです。ほうほう。

 

 

今回は中間発表を振り返りつつ進捗の記録。

 

一週間空けてしまったせいで都合の良いように脳内で補完されてそう。気が乗る乗らないに振り回されないでまめに残さないと。

 

発表のフィードバックとしていただいたのは

 

・例が不明瞭、裏付けが弱い(文献などの信頼に足るソースを示せ)

・言葉がふわふわしている(言葉に意味を持たせろ)

・全体的にまだまだ荒い(そのまま)

                                                                     等々

 

つまりは「詰めが甘い」ということでした。そのあとに「行動という切り口は面白いよね」といったフォローも一緒にもらえるのがやりやすい理由なんだろうな。

 

特に2番目のは個人的にすごく刺さりました。体のいい、便利な言葉に逃げるのマジでよくないですね、マジ思考停止、マジヤバ~い。しっかり考えてその言葉が最適であるという結論に帰着したならそれはそれでいい、仮に突っ込まれたとしても十分に答えられれば。

 

自分たちの発表資料を見返してみると、表では特殊的好奇心から拡散的好奇心への変化を誘発させることが「育てる」ということではないかというお題の解釈、裏では未知の世界に飛び込むことが「育てる」ための一つの条件ではないかという仮説を立てていました。はっきり言ってこの資料は意味が分からなかった、というよりも整合性が取れていないように感じた。自分も資料作りに参加していたのにね。表のお題の解釈として言いたいことはわかる、しかし裏の飛び込む云々のくだりは「生まれるきっかけ」という色が強いように捉えられる。自身から新しい環境に飛び込んでいける人、今回で言うところの行動力がある人は興味のあることと出会う・自覚する確率が高くなるというのは、拡散的好奇心かそれ以前の段階に当たるのではという話。飛び込むという行動の後が育つ段階なのでは。しかし、そもそも生まれていないものは育ちようがないので、あくまで育つという段階へ進むための必要なステップ、要素として含みを持たせようとしているのなら納得できる。あとから見返す資料の文にしては、少し言葉足らずというかすっ飛ばしすぎというか。なにをどう考えて作ったのかが記憶から抜けているのでなんとも。こういうとこやな。

 

そして、行動には①「??(好奇心が無い、薄い状態と仮定)から拡散的好奇心に成るまで」と②「拡散的好奇心から特殊的好奇心に変化するまで」という二つのフェーズがあるのではないかという分岐した考えになってきました。お題により即していて今まで考えてきたのは②なんですが、部分的に切り取っても初めて聞く相手にはわかりにくく、不親切だからということで①の部分も取り入れつつ全体的な流れを発表しようということに。あくまで①は補助的な部分なので、②に調べる比重をかけるべきかなと思っています。

 

ここからはそんな②の話。特定の方向性、ジャンルに興味をもった人間がどのように知識を得て、深めていくのか。以下今回出たループの仮説。

 

情報不足→情報収集→回復(ボーダー達成)→疑問(不調和・ズレ)→解消→(最初に戻る)

情報不足から回復までの部分が拡散的好奇心、疑問と解消の部分が特殊的好奇心に相当するイメージ。

 

情報不足と情報収集はイコールの関係としてまとめることはできるのか、そもそも情報不足は拡散的好奇心の前なのか後ろなのか。自身の可能な範囲、受け止められる許容量、つまりボーダーを一度達成したことに満足して発展しない場合は想定しないのか。同じく疑問が解消されたらその段階で終わるのではないか。などといった、詰めるべきところはたくさん残っています。このことを先生に(橋本さんが)話すと、「答えがないからでここら辺からは堂々巡り、話を聞いてみる段階かもね」というご意見が。インタビューなどでを用いた実例からの分析、検証はまだまだ先の話だろうと勝手に踏んでいたのでちょっと意外な反応でした。

 

3パターンのイメージ図に起こしたものをまとめておきたいですが、これもナンバリングすると上のと被って分かりにくいのでアルファベットにします。

Ⓐ-興味のある対象への関心が垂直に落ちるT字ではなくて、逆△をぐるぐるしながら降りていくもの。

Ⓑ-自身のボーダーが達成されるごとにどんどん高く設定されていくもの。

Ⓒ-マインドマップのように知識を繋げていくもの。

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今回一番引っかかったのがⒸでした。というのもⒶとⒷは、じわじわ吸い込まれる伸びるといった一方への動きであるのに対して、Ⓒは多方への複雑な発展が想定されるから。情報不足から疑問解消までを1セットとして、その先はどのように発展していくのかという問題。解消した時点からの派生で広がっていくのか、一度大元にあたる興味の対象に戻ってそこから新しく広がっていくのか。どちらでも解釈できるから本当に堂々巡りですね。

 

 

①に関しては仮説も立証もあまりに難しすぎる。どういう方法をとればいいのかすら思いつきません。

 

何を持って飛び込んだとするのか、その人に自覚はあるのか、その当事者をどうやって探し出すのか。

 

自分の好きな漫画の中に「夢を見るやつが10万人いたら残るのはせいぜい10人、万が一、それが現実なんだ」といったニュアンスのセリフがありまして。文脈ありきな場面なのですが、長くなりすぎるので割愛させてください。先生も「やりたいと思った100人の中で実際にやるのは1人」のようなことを仰っていました。明確な夢と不明瞭な欲求という言葉に大小があるとしても、この2つの共通しているのは「行動に移せるのはほんのひと握り」ということ。スケールを日常程度に落としても同じことだと思います。未知の領域に足を踏みこむっていうのはかなりの勇気がいりますもんね。その勇気を出させる、誘発させる環境の条件がわかったらめちゃくちゃすごいと個人的に思ってます。みんな勇気100%な世界になる。もうがんばるしかないじゃん。

 

実際にインタビューなりアンケートをするならその1%未満を探し出して話を聞かせてもらうべきなのか。しかしはっきり言って現実的ではない。

99%から原因を探っていくのか。それだとかなり遠くからの推測になる。

 

まだまだ考えることは山ほどあるということで。

 

勝手な自己解釈の部分もかなりあるので確認と共有が必要。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

 

 

飛び込むといったらバンジー。ぼくの死ぬまでにやりたいことランキングの上位に居座り続けていますがなかなか機会がない。これが99%側の思考や。