価値観の話

こんにちは

 

 

来週から電車に揺られる生活が再開してしまう。通学時間は先日始まった某賞の時間に当てたいと思います。

 

 

今回は3回目のゼミの話。

 

相も変わらずどん詰まり。

 

なんとか材料をいただいて進み始めました。

 

話が若干逸れつつでしたが、勢いづける為のコミュニケーションも大事ということで。

 

いただいた材料からできたのが

「共感が学生の行動に与える影響とは?」

という疑問。

 

「共感」というワードは、前期に行ったインタビュー結果から引っ張ってきたもの。

 

「共感」は一方的な理解、「合致」は双方向からの理解という解釈。共感の発展した形が合致?

Aさんが投げた言葉や考え方にBさんが納得して「分かる」と言っているのが共感。その対象は一部かもしれないし、全部かもしれない。若干の食い違いがあったとしても、一方通行なのでお互いに気づけない。大まか、ざっくりしている。

Bさんが先述のような共感をした上で、自分なりの表現をAさんに返してすり合わせていくのが合致。合致の方が互いの理解度、全体の解像度が高い。

こんなイメージ。

現時点ではそこまでの問題ではないけれど、今後材料になることがあればということで。大筋の部分だし、固めすぎるということもないかな。

 

テーマ?疑問?に当たる最初の文で、何に対しての「共感」なのかがはっきり表せていないから「価値観」というキーワードをねじ込みたいけどなかなかうまくいかない。次回までの個人的な課題にしておきます。先述した「共感の進化系が価値観の合致」というのもなにかしらで使いたいな。

 

価値観を許容する、理解することは別問題にしても、価値観が合わないってそれだけでかなりのストレス。相手の価値観を否定するつもりもないし、こちらの価値観を押し付けるつもりもない。だからこそ居心地悪いというか。

学生や社会人みたいな立場とか、年齢とか、性別とか関係ない人間的な本能だと思う。防衛本能というのかな。居心地がいい方か悪い方、どちらか選んでいいよといわれたら大半の人間が前者をとるんじゃないの。後者は選ぶとしたらよほどのこと事情があるのか、よほどの変わり者か。それもまた価値観ではある。

 

遅ればせながら方向性も見えてきたところで、次回からはどんどん広げていきたい。

 

価値観を書き間違えることはもうないと思います。このブログでたくさん打ったので。

 

 

なのかの話

こんにちは

 

 

ゼミの内容を振り返るブログはその日の夜に書くようにしていたのですが、昨日は圧倒的な睡魔に屈してしまったので今回は一日遅れ。

 

 

それではゼミの話。

 

相変わらずグルグル考えてウンウンうなっている。寄り道を繰り返して、つまりどういうことやってなる。つまりは問いが立たない、仮説が立てられない。

 

なので現時点の進捗整理。

 

 


 

前期まででは、

「育てる」ためにはその対象が「生まれる」→テーマを再定義した上で、集めた情報と格闘。好奇心の「生まれる」と「育てる」には行動の差があることに行きつく。行動には量や質、段階や環境も関係しているのかもしれない。→自分たちの設定した「育てる」段階にいる人に話を聞いて共通点を探す。

 

前期段階ではテーマの整理と再定義から仮説を立てるという、問いを飛ばした進め方だった。飛ばした、というよりも問いと仮説の明確な線引きを引かなかった、という方が近いのか。自分たちなりに整理したことや考えたことは正しかったのか、成立するのかという裏打ちをするために出来上がった仮説。そら問いの問いの立て方もわからんよなという感じ。

 

あらゆる場面においてセオリーに固執する必要はあまり感じていませんが、詰まった時に修正が効きやすいのがセオリーというのもまた事実。

 


 

順当に発展させていくとするのならば、

①好奇心の強弱と行動の関係性や差異はどういったところにあるのか

②好奇心が育ちやすい(強い)人はどういった行動をしているのか

③好奇心が育ちにくい(弱い)人はどういった行動をしているのか

④数値化、パターン化してタイプ別の「育て方」を考察する。

 

になります。ほぼアドバイスの受け売りですけど。

 

軽々しくパターン、タイプなんて大仰な表現をしてみましたが、それは表面上の数だけで推し量れるものなのかという懸念が残る。その行動の裏にどういった考えがあったのか、みたいな事情は見えてこないので。定量調査の範囲内というある種の縛りがある中で、いかに立ち回るかというのも含めて考えるべきところなのでしょう。

 


 

今回の時間内で話していた内容だと、

①前期で育つ前に生まれるという至極当たり前なことを定義した。

②では生まれる段階の拡散的好奇心内における質の低い行動(広義に捉えた情報収集)をする人はどのような人なのか。なぜそのような行動をとるのか。

③シンプルに物事への興味を持ちやすい人?自己理解のできている人?自分の興味のある方向性を知っているからこそ興味を持ちやすいのか?

④生まれやすい人は育ちやすいのか。またその逆もしかりなのか。つまり生まれやすさと育ちやすさはイコールなのか。

⑤もしイコールで結ぶことができるのだとしたら、それは「育てる」ための一つのアプローチの形として成立するということなのではないか。

 

時間が経ってしまっているということと黒板の写真を撮り忘れていたことにより、勝手な自分なりの解釈の補正が入っているかも。

 

のかのかのかのかうるさく書いてるってことは問いになってるということなのか。

 

改めて見ると③→④の飛び具合がすごい。黒板に書きながらどういうことだよって思ってた100倍は説明が付けられない。

 


 

こんなところでしょうか。少しでも早くこの停滞した時間を脱したい。

 

前期に使った時間の割り振りが、序盤中盤の8割はうーんって言いながら考え、終盤の2割でバタバタまとめるというかなり攻めた方式。後期では変えたいと思っていましたがこのままでは間違いなく同じ道をたどることになる。そもそもの割合を変えようとするなり、考える中で適度にまとめるなりと少しでも調整していければと。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

 

 

自分のやり方・動き方で進めるのと、ただ遅いだけというのは違う。自分はどうなんだと考えたときに、はっきりと答えられないのが悲しくなった。言い訳だけはプロ、ということだけ分かっています。まったくもって威張れるようなことではないですが。

秋の話

こんにちは

 

今夜は中秋の明月。まあバチバチに雨降ってて全く見えなかったですが。満月見たかった。

 

月繋がりの話で、個人的にあるあるな天体の話をひとつ。月食と日食、混ざって分からなくなりがち。以上。

 

 

今回は3年後期1回のゼミの話。

 

大きい進展があったわけではないけど、後期も書いていこうということで残しておきます。

 

本題へ。

 

約1ヶ月離れていた好奇心というテーマに対してのデータ復旧に時間がかかりました。あー、そういえばそうだったなっていう情報で頭が溢れてたというのが正直なところ。

 

とは言っても、好奇心という単語自体が日常的なものなので知識が0に戻っていた、ということはなかったですね。

 

夏休みに大人の話を聞いたりする機会がぼちぼちあったりしたことが影響してるのかも。その中での経験談なんかを「好奇心の作った図だとああなるな」「このエピソードは例に使えそう」とかで無意識に繋げようとしてるというか、無理にこじつけようとしている自分に違和感を覚えてたりがあったこともあるのかな。もっと他に考えること山ほどあるだろ、という自己嫌悪にも似た感覚。

 

そして後期で取り扱う定量調査。簡単な話が数での分析。

 

どう言葉を噛み砕くか、どうすれば表現すれば伝わるか、そしてどうやって欲しい情報を引き出せるようになるのか。

 

文面を工夫する、というのは考える余地が無限広がっているので楽しそう。若干と本筋とはズレてるかな。過程を楽しめる→いい材料が手に入る→整理した最終的な結果も良いものになるという仮説ということで。材料集めで一旦気力が燃え尽きそう。

 

楽しいことが良いこと、良い結果になるというのはあまりにも綺麗事がすぎる。でも良いことを追求することが楽しいこと、という考えの人の場合だったら成立する考え方とも言えるのでなんともだなあってところ。自分の場合はどうだったのかという答え合わせは、とりあえず来年の1月までお預けです。

 

とにもかくにも新しい切り口を、問いを、仮説をというのが急務。前期段階での半端な満足感が錆になって、考え方が完全に固着してる。とりあえず潤滑剤を調達してきます。

 

 

今回はこのへんで、では。

 

 

 

夏は昼夜逆転しがちなのではやく終わってください。そして誰も海辺にいない秋さん冬さん早く来てください。冷房苦手で海眺めるのが好きな人間からのお願いです。

 

けど冬は年末意識するからなんか窮屈でイヤ。少し冷えるぐらいの秋がちょうどいい。行きたいところは山じゃなくて、やっぱり海。秋海。

直後の話

こんにちは

 

 

アドアルファ様へお邪魔しての中間発表を終えました。準備から発表までの思ったことをつらつらと。

 

 

準備

スライド作成。どうすれば伝わるか、納得させられるかを終始気にしていました。文章の言い回しであったり、ちょっとした順番であったり。骨格に肉付けしても、それを適切な場所に組まなければ適切な働きはしないわけなので。

 

 

本番・講評

本番に関しては、相手の方を向くことの意識ということだけ。自分の言葉で、という断片的な考えに、コミュニケーションという材料を加えていただいた段階なので、これから自分の中では砕いてまとめて。

講評は、シンプルにほめていただけました。構成などについて評価していただけたこともありがたい話なんですが、「また聞きたい」という言葉をいただけたことが本当に嬉しかった。顔もかなりほころんでいたかもしれませんが、マスク越しなので余裕のセーフ。 

以前に森田先生が、「良かったよ」よりも「またやろう」と言ってもらえた方が嬉しい。というニュアンスのことをおっしゃっていたことと重なっていたからだと思います。その時はなるほどなあ確かになあと、言葉を表面的な意味として理解していた感じでした。今回実際に「続きをまた聞きたい」という言葉をいただいて、ストンと深く腑に落ちたというか、本質的な部分が垣間見えたというか。理解から納得に変化したような印象。

 たったの一言でも、受け取る状況や意識的なところの違いでこうも変わるのかと、言葉というものの面白さ?深さ?を改めて感じるところでした。だからこそ、自分の考えを言葉として表現が出来ていないという純然たる事実にモヤモヤしてしょうがない。

 

(お世辞だとしても)褒め言葉はド直球よりも変化球の方が人の心は抉られる、という番外的な知見を得ました。人と言うより自分が、ですかね。

 

 

反省 

グループ内での反省で真っ先に出た「時間」の問題。足りなくなるのは分かりきっていたことなので、確保できる範囲内で足りるように調整をすべきだった。間に合わせるっていう表現だと、雑に畳むような、やっつけ仕事感が出るなんか違う。

端折りすぎずまとめることが出来たのではないか、インタビュー結果を深く分析できていたらもっと有効活用できたのではないか。結局はたらればですが、あげればキリがない。発表のあとに、前使ってた例が1番分かりやすかったんじゃないのと言われたときが一番強く感じましたね。ゆとりがあれば事前に相談や対応ができたであろう話ではあったので。

本当に、あまりに、非常に、極めて図の説明は納得がいってなさすぎる。途中がぼやけていた、と言われた理由もここにあると思う。直前まで考え続けてもよさげな例をが他に出てこず、自分でも分かりにくいと思う例をゴリ押す結果になったという大きい心残り。先述の「それがあったな」という不完全燃焼感も相まって、その気持ちはひとしお。

 

あとは話してる時の腕の配置と角度。腕を組むという癖と、目上の人の前で話す場ではよろしくないという理性が無意識に戦った結果の折衷案だと思われます。

 

今後

今回は、内容よりもそれ以外の構成などの評価を受けた感は否めない。あくまで途中段階、あくまで中間発表である以上、なんら不思議なことではないんですが。「王道」からどういう外しをいれていくのか、難易度の上がり幅が。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

  

今までで一番ぼやけたブログになってしまった。

 

 

人間にとって睡眠は大大大大事なんだなって。

直前の話

こんにちは

 

 

まめに残すと意気込んだ前回からひと月空きました。本当こういうところなんだと思います。

 

中間発表用の資料が一向にまとまらないのでこっちでひとまず書き起こし。完全なる個人メモ。

 

好奇心とは

好奇心とは、物事を探求しようとする心。拡散的好奇心と特殊的好奇心の二種類に大きく分けることができ、前者は広く浅く、後者は深く狭くというイメージ。

 

グループとしてのテーマ解釈、再定義

「生まれる」と「育てる」は区別すべき。大小様々な種類の芽が出ている拡散と、苗が成長していく特殊では後者の方がお題に沿っている、そのため特殊にフォーカスしていく。当然ながら育つ前には生まれるという段階がある、そっちも補助程度にまとまられたら全体像がつかみやすいと思うのでなおよし。

 

有無と大小

子どもは好奇心旺盛で、大人になるにつれて好奇心は薄れていくというのが世の風潮。しかし好奇心自体は誰しもが持つ感情。好奇心がないのではなく小さい、薄いために反応しても気づかないだけ。年齢を重ねるごとに情報を吸収して蓄積しているのでマンネリ化しやすく、よくも悪くも取捨選択が早い。

 

発生の流れ

まず外部から何らかのかたちで情報が取り込まれる。雑談、たまたま目にしたぐらいの日常レベル、些細ながらも行動であるとする。否が応でも入ってくる情報たちに対しとても浅い好奇心が無意識のうちに生まれていて、その多くが気づかないままに消えている。フーンと思った、ぐらいの感覚。たまに、スマホで調べたり、周りに聞いたりする具合に発展する。そういった一連の流れを繰り返す中で、違和感を覚える場合がある。今回ではその違和感を不調和、イレギュラーという言葉に置き換えて進めていく。不調和を覚えた対象への深い好奇心はすぐに消えてしまうタイプとは異なり、広く深く多くの情報を求める。自身の手の届く範囲ではもう満たされない、限界を感じてなにかしらの行動を起こす。この行為行動こそが、好奇心を育てるという言葉に合致すると考える。手の届く範囲から出る、小手先の限界というのが初期段階の浅い好奇心との明確な違い。

 

情報

そもそもの情報を取り入れようとない、門前払い、食わず嫌いする場合は、自分たちの考える「好奇心を育てる」にたどり着けないのでスルー。一度取り入れたうえで、ということであればまた違うんですが。

 何も知らないものへの興味関心が湧くなんてことはあり得ないのでは。名称すら知らない特定の何か、に対して興味があります!なんてびっくり人間の領域だとしか思えない。なので興味が先か行動が先かの問題にはいまだなんとも言えません。

 

行動

好奇心を満たすという欲求を達成するための情報を得るには、大なり小なり行動が必要になってくるよねということが全体通して一番のポイント。じゃあ実際に行動を起こした人に話を聞くかとなっても詳細な事前調査は必須、かなりプライベートな部分にも入り込むことになるので今後は難航しそう。今回は友達に当てはまる人がいるということでことなきを得ましたが。

 

 

ここからペーパーかけて丸くしたら最低限の骨ができあがり。

 

 

おわり。

飛び込みの話

こんにちは

 

 

宣言が明けたくらいからキャッチとか勧誘のお兄さんお姉さんが街中に戻ってきたような感じがします。押しに弱そうと見られやすいのか周りの人よりグイグイ来られることが多いがち、まあ否定はできません。そんな自分が今まで受けてきた勧誘系の中で一番面白かったのは、「最近どこか痛い所とかないですかー?」って言われ、二人から挟まれて念を送られたことです。圧倒的な意味不明さとすぐに立ち去られてしまったことで少しくらい説明してくれてもいいじゃんと興味が湧いた自分がいました。これは外発的動機づけによる拡散的好奇心が生まれた瞬間だったのか。似たような話だと、温泉の露天風呂で怖い勧誘を受けたというのもありますがまた今度の機会に。おあとがよろしいようで。

 

この「おあとがよろしいようで」っていうやつ、落語家がオチに使う定型句かと思ってましたが間違った認識でした。「次に話す人の準備ができたよ、楽しみにしててね」みたいな意味合いのようです。ほうほう。

 

 

今回は中間発表を振り返りつつ進捗の記録。

 

一週間空けてしまったせいで都合の良いように脳内で補完されてそう。気が乗る乗らないに振り回されないでまめに残さないと。

 

発表のフィードバックとしていただいたのは

 

・例が不明瞭、裏付けが弱い(文献などの信頼に足るソースを示せ)

・言葉がふわふわしている(言葉に意味を持たせろ)

・全体的にまだまだ荒い(そのまま)

                                                                     等々

 

つまりは「詰めが甘い」ということでした。そのあとに「行動という切り口は面白いよね」といったフォローも一緒にもらえるのがやりやすい理由なんだろうな。

 

特に2番目のは個人的にすごく刺さりました。体のいい、便利な言葉に逃げるのマジでよくないですね、マジ思考停止、マジヤバ~い。しっかり考えてその言葉が最適であるという結論に帰着したならそれはそれでいい、仮に突っ込まれたとしても十分に答えられれば。

 

自分たちの発表資料を見返してみると、表では特殊的好奇心から拡散的好奇心への変化を誘発させることが「育てる」ということではないかというお題の解釈、裏では未知の世界に飛び込むことが「育てる」ための一つの条件ではないかという仮説を立てていました。はっきり言ってこの資料は意味が分からなかった、というよりも整合性が取れていないように感じた。自分も資料作りに参加していたのにね。表のお題の解釈として言いたいことはわかる、しかし裏の飛び込む云々のくだりは「生まれるきっかけ」という色が強いように捉えられる。自身から新しい環境に飛び込んでいける人、今回で言うところの行動力がある人は興味のあることと出会う・自覚する確率が高くなるというのは、拡散的好奇心かそれ以前の段階に当たるのではという話。飛び込むという行動の後が育つ段階なのでは。しかし、そもそも生まれていないものは育ちようがないので、あくまで育つという段階へ進むための必要なステップ、要素として含みを持たせようとしているのなら納得できる。あとから見返す資料の文にしては、少し言葉足らずというかすっ飛ばしすぎというか。なにをどう考えて作ったのかが記憶から抜けているのでなんとも。こういうとこやな。

 

そして、行動には①「??(好奇心が無い、薄い状態と仮定)から拡散的好奇心に成るまで」と②「拡散的好奇心から特殊的好奇心に変化するまで」という二つのフェーズがあるのではないかという分岐した考えになってきました。お題により即していて今まで考えてきたのは②なんですが、部分的に切り取っても初めて聞く相手にはわかりにくく、不親切だからということで①の部分も取り入れつつ全体的な流れを発表しようということに。あくまで①は補助的な部分なので、②に調べる比重をかけるべきかなと思っています。

 

ここからはそんな②の話。特定の方向性、ジャンルに興味をもった人間がどのように知識を得て、深めていくのか。以下今回出たループの仮説。

 

情報不足→情報収集→回復(ボーダー達成)→疑問(不調和・ズレ)→解消→(最初に戻る)

情報不足から回復までの部分が拡散的好奇心、疑問と解消の部分が特殊的好奇心に相当するイメージ。

 

情報不足と情報収集はイコールの関係としてまとめることはできるのか、そもそも情報不足は拡散的好奇心の前なのか後ろなのか。自身の可能な範囲、受け止められる許容量、つまりボーダーを一度達成したことに満足して発展しない場合は想定しないのか。同じく疑問が解消されたらその段階で終わるのではないか。などといった、詰めるべきところはたくさん残っています。このことを先生に(橋本さんが)話すと、「答えがないからでここら辺からは堂々巡り、話を聞いてみる段階かもね」というご意見が。インタビューなどでを用いた実例からの分析、検証はまだまだ先の話だろうと勝手に踏んでいたのでちょっと意外な反応でした。

 

3パターンのイメージ図に起こしたものをまとめておきたいですが、これもナンバリングすると上のと被って分かりにくいのでアルファベットにします。

Ⓐ-興味のある対象への関心が垂直に落ちるT字ではなくて、逆△をぐるぐるしながら降りていくもの。

Ⓑ-自身のボーダーが達成されるごとにどんどん高く設定されていくもの。

Ⓒ-マインドマップのように知識を繋げていくもの。

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今回一番引っかかったのがⒸでした。というのもⒶとⒷは、じわじわ吸い込まれる伸びるといった一方への動きであるのに対して、Ⓒは多方への複雑な発展が想定されるから。情報不足から疑問解消までを1セットとして、その先はどのように発展していくのかという問題。解消した時点からの派生で広がっていくのか、一度大元にあたる興味の対象に戻ってそこから新しく広がっていくのか。どちらでも解釈できるから本当に堂々巡りですね。

 

 

①に関しては仮説も立証もあまりに難しすぎる。どういう方法をとればいいのかすら思いつきません。

 

何を持って飛び込んだとするのか、その人に自覚はあるのか、その当事者をどうやって探し出すのか。

 

自分の好きな漫画の中に「夢を見るやつが10万人いたら残るのはせいぜい10人、万が一、それが現実なんだ」といったニュアンスのセリフがありまして。文脈ありきな場面なのですが、長くなりすぎるので割愛させてください。先生も「やりたいと思った100人の中で実際にやるのは1人」のようなことを仰っていました。明確な夢と不明瞭な欲求という言葉に大小があるとしても、この2つの共通しているのは「行動に移せるのはほんのひと握り」ということ。スケールを日常程度に落としても同じことだと思います。未知の領域に足を踏みこむっていうのはかなりの勇気がいりますもんね。その勇気を出させる、誘発させる環境の条件がわかったらめちゃくちゃすごいと個人的に思ってます。みんな勇気100%な世界になる。もうがんばるしかないじゃん。

 

実際にインタビューなりアンケートをするならその1%未満を探し出して話を聞かせてもらうべきなのか。しかしはっきり言って現実的ではない。

99%から原因を探っていくのか。それだとかなり遠くからの推測になる。

 

まだまだ考えることは山ほどあるということで。

 

勝手な自己解釈の部分もかなりあるので確認と共有が必要。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

 

 

飛び込むといったらバンジー。ぼくの死ぬまでにやりたいことランキングの上位に居座り続けていますがなかなか機会がない。これが99%側の思考や。

土台の話

こんにちは

 

 

20度くらいで少し風のある夜が一番過ごしやすい。

 

 

今回はゼミの振り返り兼、好奇心研究についての進捗の記録。

 

「土台を大事に」

 

ことあるごとに言ってるけどほんとに固められてるのか。進まないのをそれっぽく言い換えてるだけじゃないのかとも思う。言い出しっぺ(?)がこんな感じとかほんと世話ない。

 

急造のプレハブ小屋じゃなくて大きな日本家屋を建てたい。そのためには基礎部分がしっかりしていないといけないので、今は詰めることに専念してみます。

 

今回の研究は今までのグループワーク活動で一番喋ってる自信がある。でも一歩引いたスカシやめろっていうのは多分こういうことじゃないんだろうなあ。勝手に喋って自己満足してるだけというのが否めない。加えてそこからの話の着地率が低すぎて毎度一人で大怪我負ってる。

 

あと、話し合いの連想ゲーム感が強まってきている。調べてきたことを出し合ってはいるので情報量は着実に増えてはいるものの、、、という一抹の不安。いや十抹くらいある。

仮説というのはあくまで集めた情報を基にした推測というスタンスなはずなので、推測の準備段階にあたる連想でもまるきり間違っているというわけではないのかな。

 

今後の目標は黒板に丁寧な字を書くこと、事前準備ははっきり伝えられるレベルにまで反芻して場に持ち込むこと。

 

 

就活についても少し。

 

もうすぐ3年の夏という現実を受け入れられません。タチの悪い冗談ですよね、きっと。最短で卒業できる4年間を折り返してるわけないもんなあ。

 

まあこんなこと言っててもしょうがないので、インターンや気になる業界について調べ始めたりしつつ。部活やサークルをはじめとした打ち込んでること、所謂ガクチカがしっかりある人らと今のままではやり合えるわけないので。圧倒的にマウントとられてタコ殴りにされそう、というか既にされ始めてる。

 

その唯一気になってる業界というのがかなり人気が高いようで、そのため学生のレベルも言わずもがな。でも最初から土台無理だと諦めるのは癪なので、少しずつでもやれることからやろうかなと思います。まずはメンタルを鍛えるところから。そのアップに昨日はワイヤレスイヤホンを片方落とし紛失、スマホの画面にヒビが入りました。飛ばしすぎてる。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

 

太陽さんへ、国内トップクラスの気温やめてください。