直後の話

こんにちは

 

 

アドアルファ様へお邪魔しての中間発表を終えました。準備から発表までの思ったことをつらつらと。

 

 

準備

スライド作成。どうすれば伝わるか、納得させられるかを終始気にしていました。文章の言い回しであったり、ちょっとした順番であったり。骨格に肉付けしても、それを適切な場所に組まなければ適切な働きはしないわけなので。

 

 

本番・講評

本番に関しては、相手の方を向くことの意識ということだけ。自分の言葉で、という断片的な考えに、コミュニケーションという材料を加えていただいた段階なので、これから自分の中では砕いてまとめて。

講評は、シンプルにほめていただけました。構成などについて評価していただけたこともありがたい話なんですが、「また聞きたい」という言葉をいただけたことが本当に嬉しかった。顔もかなりほころんでいたかもしれませんが、マスク越しなので余裕のセーフ。 

以前に森田先生が、「良かったよ」よりも「またやろう」と言ってもらえた方が嬉しい。というニュアンスのことをおっしゃっていたことと重なっていたからだと思います。その時はなるほどなあ確かになあと、言葉を表面的な意味として理解していた感じでした。今回実際に「続きをまた聞きたい」という言葉をいただいて、ストンと深く腑に落ちたというか、本質的な部分が垣間見えたというか。理解から納得に変化したような印象。

 たったの一言でも、受け取る状況や意識的なところの違いでこうも変わるのかと、言葉というものの面白さ?深さ?を改めて感じるところでした。だからこそ、自分の考えを言葉として表現が出来ていないという純然たる事実にモヤモヤしてしょうがない。

 

(お世辞だとしても)褒め言葉はド直球よりも変化球の方が人の心は抉られる、という番外的な知見を得ました。人と言うより自分が、ですかね。

 

 

反省 

グループ内での反省で真っ先に出た「時間」の問題。足りなくなるのは分かりきっていたことなので、確保できる範囲内で足りるように調整をすべきだった。間に合わせるっていう表現だと、雑に畳むような、やっつけ仕事感が出るなんか違う。

端折りすぎずまとめることが出来たのではないか、インタビュー結果を深く分析できていたらもっと有効活用できたのではないか。結局はたらればですが、あげればキリがない。発表のあとに、前使ってた例が1番分かりやすかったんじゃないのと言われたときが一番強く感じましたね。ゆとりがあれば事前に相談や対応ができたであろう話ではあったので。

本当に、あまりに、非常に、極めて図の説明は納得がいってなさすぎる。途中がぼやけていた、と言われた理由もここにあると思う。直前まで考え続けてもよさげな例をが他に出てこず、自分でも分かりにくいと思う例をゴリ押す結果になったという大きい心残り。先述の「それがあったな」という不完全燃焼感も相まって、その気持ちはひとしお。

 

あとは話してる時の腕の配置と角度。腕を組むという癖と、目上の人の前で話す場ではよろしくないという理性が無意識に戦った結果の折衷案だと思われます。

 

今後

今回は、内容よりもそれ以外の構成などの評価を受けた感は否めない。あくまで途中段階、あくまで中間発表である以上、なんら不思議なことではないんですが。「王道」からどういう外しをいれていくのか、難易度の上がり幅が。

 

 

今回はこの辺で、では。

 

  

今までで一番ぼやけたブログになってしまった。

 

 

人間にとって睡眠は大大大大事なんだなって。